海の神様

小包が届いた。
木の皮で不器用に包装された、かぼちゃぐらいの大きさの包み。
少し湿ってひんやりしている。
あて先の書かれた荷札に差出人の名前を探すが、
利き手ではない方の手で書いたようなその文字は
やはり俺の名前と住所しか示していなかった。
配達のおじさんにお礼を言い、家の中へ持って入る。
少し考えてから念のため桶の上で開封すると、
氷と一緒に生きのいい大きなエビが山ほど転がり出てきた。
「一気にこんなに貰ってもなぁ・・・」
あの年の夏から、この季節になると毎年同じような包みが届く。
中身は魚だったり貝だったり色々だが、
この山麓の村に、まるで今捕ってきたばかりのような
新鮮な海産物が届けられるのだ。
今回同様、いつも送り主は不明だったが、
俺にはこれが誰からのものであるか見当がついていた。
最初に小包が届いたのは7年ほど前。
話はその年にさかのぼる。


珍しく雲行きの怪しい初夏の日、
遠くの街に住む叔父さんが久しぶりにやってきた。
叔父さんの住むその街は大して大きいというわけでもないが、
近くに都市がいくつかあり、しかも叔父さんは旅好きだ。
この辺境の村にはなかなか入ってこない話題に花が咲いた。
「あらやだお砂糖がもうないわ」
話が一段落した頃、お茶を淹れようとしていた母さんが素っ頓狂な声をあげた。
そして俺のほうをじっと見る。
「・・・俺が買ってくるよ」
「そう?じゃあお願いね」
そう言って悪びれた様子もなく俺に砂糖代を渡すと、
叔父さんの話を聞きに居間へ戻っていった。
もっと色々聞きたいのは山々だったが仕方がない。
砂糖を入れる布袋を引っつかみ、家を出た。
「そういえばここ最近海が大荒れに荒れて港町では・・・」
叔父さんが話し始めるのが聞こえた。

「こりゃ一雨来そうだな・・・」
外は今にも降り出しそうな曇り空。
村にたった一つしかない道具屋の前で、
砂糖を量ってくれているのを待ちながら俺はこうつぶやいた。
この季節は滅多に雨は降らないのになあ・・・と考えながら
カウンターの中の売り物を眺める。
先日ここの主人が港の方に仕入れに行ってきたらしく、
魚の干物や貝殻の置物などがいろいろ置いてあった。
ふと、足に何か冷たいものが当たった。
とうとう降ってきたかとしかめっ面で空を見上げるが、
2滴目が一向に落ちてこない。
気のせいだったにしてはやけにはっきりと冷たさを感じたが。
眉をひそめたまま足元に視線を移す。
その瞬間、俺の眉間のシワは一層深くなった。
何かいる。
見たことのない青い生き物が足元を駆け回っている。
動いているので良くわからないが、
ねずみより少し大きいぐらいだろう。
飛んだり跳ねたり、転がるようにして俺の周りを行ったり来たりしている。
一見青い毛玉のようにも見えるが、明らかに自分の意志で動いているのだ。
一体何なんだこれは。
俺が硬直しているとその謎の生物は突然ぴたっと止まり、
こっちを見上げた。
目が合った。
「はいお待たせー砂糖1袋ね」
その声に俺は弾かれるように顔を上げた。
はっと我に返る。道具屋の女将さんだ。
「あっありがとうっ」
砂糖の袋を乱暴に受け取り、代金をカウンターに投げるようして置いて、
けげんそうな表情の女将さんを残して俺は走った。
一目散に家へ帰った。
これは夢だ。夢に違いない。
夢だからこそ珍しく叔父さんが訪れ、空は曇り、変な生き物が現れるのだ。
家に入り、玄関の戸を閉め、一呼吸。
居間から叔父さんの声が聞こえる。
嫌な予感を抱きつつ、楽しそうに話を聞いていた母さんに砂糖を渡した。
「ご苦労様。顔色悪いけど大丈夫なの?すごい汗だし」
「うん・・・何でもないよ」
一応平静を装い、自分の部屋に戻った。
俺のこの手の予感はよく当たる。
この時も残念ながら例外ではなかった。
部屋に入り、とりあえず休もうとベッドに向かう。
そして倒れこもうとした瞬間、視界の端に何かが映った。
青い物体。
恐る恐る横目でそっちの方を見やる。
いた。奴が。
俺の枕の上に悠々と。
あの道具屋の前の青い生き物が。
「何で・・・・・・」
俺は騒ぐ気も失せ、その場にへたり込んだ。
そんなことはお構いなしで奴は嬉しそうに揺れている。
「何なんだよお前・・・」
こっちの言っていることがわかっているのかわかっていないのか、
とにかく揺れているだけである。
さっきは初対面だったので取り乱してしまったものの、
得体は知れないが特に害はなさそうだ。
気を取り直してちょっと観察してみると、
ただの毛玉ではなく一応人のような形をしている。
頭の上に大きなきのこのような物付いていて、
胴は短く、細い手足が生えていた。
身体にしては大きめの黒い目も付いている。
じっと見ていると難しい顔をし始めた。
良く言えば可愛いとも言えなくはない。
「ここにいたいなら勝手にすればいいさ。
でも俺は構ってやらねぇからな」
そう言い残し、俺は部屋を出た。
放っておけばそのうちいなくなるだろうと、
まだ談笑の聞こえる居間へ向かった。

夕飯を食べ終え部屋に戻ると、
奴は戸棚をよじ登ろうと苦戦しているところだった。
しばらく見ていたが助けてやる気も起こらず、
床に座ってベッドにもたれかかる。
「何ものなんだろうなお前は・・・」
ため息をつきながら天井を見上げた。
「海の神様じゃ!」
甲高いが小さい声が聞こえた。
俺は部屋を見渡した。
奴以外は誰もいない。
やっと戸棚を一段登り、満足げに揺れながらこっちを見ている。
疑いの眼差しを向けながら、もう一度聞いてみた。
「何だって?」
「う・み・の・か・み・さ・ま・じゃ!!」
また甲高い声でそう言うと、奴は俺の方に跳んできた。
俺の眉間には再び深いシワが刻まれた。
喋った。
しかも人の言葉を。
その上海の神だとかぬかしている。
やっぱりこれは夢だ。夢でなければこんな事あり得るはずがない。
そう自分に言い聞かせる俺の努力も空しく、
俺の前にいかにも偉そうにあぐらをかいたその自称『海の神』は
しつこく喋りかけてきた。
「聞いとるのかお主!わしは海の神様じゃぞ!」
「・・・海の神ィ?」
仕方がないので返事をしてみる。
「そうじゃ!」
そう言うとまた満足げに揺れた。
「で、海の神が何でこんなとこにいるんだよ」
ここは山麓の村である。
海から来るには1日かかる。
結構これは核を突いた質問だったのか、
『海の神』はすっかりしおれてしまった。
「それがのお・・・」
打って変わって覇気のない声で話し始めた。
話を要約するとこういう事だ。
その日『海の神』は、いつもと同じように岩場の陰に漂っていた。
天気もよく、あまりにいい気分だったのでそのうちに眠ってしまった。
目が覚めると、何か暗くて狭いところに押し込められていた。
外ではガラガラとうるさい音が聞こえ、やたらと揺れる。
そうして何時間が経っただろうか、
やっと外に出されると、そこは見たこともない家の中。
どうやら捕まえられてここまで連れて来られたようだ。
傍では小太りの男が他の袋などを空けている。
その隙にどうにか逃げ出したが、
知らない土地で右も左もわからず、
仕方なしにその家の周りをうろついていたら俺がやってきた。
「ちょうど良いから付いていく事にしたんじゃ」
揺れながら『海の神』はそう言った。
『小太りの男』は道具屋の主人の事だろう。
主人が魚を捕るのに仕掛けた網に引っかかり、
そのまま連れて来られたのだ。
逃げ出さなければあの魚の干物やらと一緒に売り物になっていただろうに・・・
などと俺が考えているのを知ってか知らずか、
『海の神』はこんなことを言い出した。
「というわけで、わしを海まで連れ帰って欲しいのじゃ!」
「ハァ?!何で俺が!」
嫌というわけではなかったが、
どうも信用できなかったしこのまま言いなりになるのも面白くなかった。
「だいたい神様ならここからちょっと海に帰るぐらい簡単なんじゃないのか?」
こう言い返すと『海の神』はさらにしぼんでしまった。
「そうしたいのは山々なんじゃが・・・
こう何日も海から離れてしまってはのお・・・上手いこと力が出んのじゃ」
何とも不便な神だ。それともどんな神でもこういうものなのか。
俺が顔をしかめていると、『海の神』は激しく揺れながらこう付け足した。
「もちろん礼は弾むぞ!何でも好きなものをやろう!」
こんな生物にそう言われても信じ難い。しかし向こうは必死らしい。
「あぁもうじれったい奴じゃ!何でも申してみよ!
こうしている間にも海はどんどん荒れ狂っておるのじゃ・・・」
「海が荒れる?」
「そうじゃ!主である神がいないのじゃから当然の事じゃろが」
道具屋へ行くのに家を出る間際に聞こえた叔父さんの話が脳裏によみがえった。
『・・・ここ最近海が大荒れに荒れて・・・』
どうやらこの自称『海の神』の話は本当らしい。
神かどうかはまだ半信半疑だったが、
ここまで必死になっているのだ、帰してみる価値はあるだろう。
「わかったよ、行ってやるよ」
「本当か!ありがたい!」
『海の神』は今までにないほど激しく、嬉しそうに揺れた。

翌朝、朝食を食べると俺は適当な荷物を背負い、身支度を整えた。
「ちょっと海に行ってくるから」
と何気なく告げ、出かけようとしたがやはり咎められてしまった。
「海?!そんな突然・・・何しに行くのよ?」
母さんがこれ以上ないほど怪訝そうな顔で訊ねる。
「うん・・・まあ色々と・・・」
はっきりしない返事を返す。
はっきり説明したとしても簡単にはわかってもらえないだろう。
『海の神』など誰が信じるだろう。
「色々って・・・今日じゃないとだめなの?もっとちゃんと準備してから・・・」
こういう時母さんはやたらと世話を焼きたがる。
俺だってもう小さい子供じゃないんだ。
「今日が良いんだ。じゃ、行ってくるよ。すぐ帰ってくるから心配しないで」
「それなら俺の馬を使うと良い。まだしばらくいるつもりだから」
奥から叔父さんが出てきてそう言った。
「いいの?ありがとう!」
さすが旅好きだけあって叔父さんはこういう事に寛大だ。
家の裏に回って叔父さんの馬にまたがり、
俺は昨日よりも重苦しくなった曇り空の下を走り出した。

港町に着いたのは日が暮れかける頃だった。
昼頃から降り出したどしゃ降りの雨も手伝って、
海はもの凄い荒れようだ。
高台にあるこの町すら丸ごと呑み込まれそうな津波がいくつも立っている。
繋いでおいてもロープが引きちぎられるのだろう、
船という船は全て海岸から離れた陸地まで上げられていた。
人の影などもちろん見当たらない。
とりあえず町の宿屋に部屋を取り、馬を預けた。
「さて・・・どうする?」
すっかりびしょ濡れになった身体を拭きながら、
大荒れの海を見たせいか興奮したように揺れている『海の神』に訊ねた。
「今すぐ海へ連れて行ってくれ!このままでは大変な事になる!」
「今すぐったって・・・危ないよ、見ただろ?ひどい波だ」
そう言ってなだめても聞いてくれそうになかった。
「もはやそんな事を言っておる場合ではない!
これ以上遅れればこの町もどうなるかわからんぞ!」
凄い剣幕で怒鳴り散らす。
「ああわかったよわかったよ・・・どうなっても知らないからな・・・」
諦め半分、『海の神』をつかむと俺は宿屋を飛び出した。
雨はさっきよりも激しくなったようだ。
打ち付ける雫が痛いほどの勢いで降り続いている。
前かがみになってようやく歩けるほどの豪雨の中、
俺は海岸沿いの堤防の上を、波にさらわれるぎりぎりまで進んだ。
ここで流されなかったのはやはり奴が海の神だったからなのかもしれない。
射るように降る雨と波のしぶきで目も開けていられず
そこで立ち止まると、『海の神』は俺の手の中で暴れだした。
「おいやめろ!危ないだろ滑るんだから!」
俺は堤防の上で全力で踏ん張った。
手も濡れてただでさえ滑るのに、
濡れたせいか『海の神』は魚のようにぬるぬるし始めた。
そして暴れ続ける。
「危ないって言ってるだろ!・・・・・・うわっ・・・!!」
一際大きな波が堤防に打ち付けたその瞬間、
『海の神』が俺の手の中から滑り落ちた。
つかもうと思ったが、つかめなかった。
波に乗るようにどんどん離れていった小さな体は、
あっという間に波間に呑まれ、見えなくなってしまった。

次の日俺は朝早く町を出た。
雨は止み、波はかなり穏やかになっていた。
村に戻り数日が過ぎた頃、小包が届いた。
木の皮で不器用に包装された、かぼちゃぐらいの大きさの包み。
少し湿ってひんやりしている。
あて先の書かれた荷札に差出人の名前を探すが、
利き手ではない方の手で書いたようなその文字は
俺の名前と住所しか示していなかった。
家に入り開封してみると、
大量の魚と小さな紙切れが出てきた。
やはり利き手ではない方の手で書かれたような文字で、こう書かれていた。
『助かったぞ!ありがとう。これはほんの礼の一部じゃ!』

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